2016年11月29日

ヴィリニュスクリスマスツリー

今年のヴィリニュスクリスマスツリーはとてもシンプルなに見えましたけど、今華やかに見えます。ご覧ください:

2016年9月1日

科学と知識の日

9月1日には新しい学校や大学の年の初めに印を付けます。1年生の学生は最初のレッスンに参加しています。各学校は、シンボリック式典を持っています。学校の生徒は教師に美しい花をもたらします。学生の中で最も人気のある花はグラジオラスです。

写真はdelfi.ltそして alkas.ltから




2016年8月22日

リオオリンピックでリトアニアの実績


小さな国だけど、リオオリンピックで選手は四っ(一っ銀と三っ銅)メダルを獲得しました!

最終的なメダルのボード中に、リトアニアは207国から64位ランク付けされました。


漕ぎ手ミンダウガス・グリシュコ二ス(Mindaugas Griškonis)とサウリュス・リッテリス( Saulius Riteris)は銀メダルを獲得します。

女性の漕ぎ手ドナタ・ヴィシュタルタイテェー(Donata Vištartaitė)と ミルだ・ヴァルチュカイテェー(Milda Valčiukaitė)銅メダルを獲得します。



重量挙げ選手 アウリマス・ディジュバリス(Aurimas Didžbalis)銅メダルを獲得します。



カヌーイスト アウリマス・ランカス(Aurimas Lankas) と エドヴィナス・ラマナウスカス(Edvinas Ramanauskas)銅メダルを獲得します。

また、東京オリンピックで!

2016年4月18日

リトアニアと日本の国交の回復25周年

4月16日、日本とリトアニアの国交の再開25周年を記念して、切手をリリースされました。切手は日本のシンボル- 桜と両国の国会議事堂を示しています。

特別な封筒もリリースされました。この切手で支払っメール対応は、初日のシールを受け取りました。

1922年、日本はリトアニアの独立を認めました。第二次世界大戦の前に日本領事館はカウナスにオープンした。氏杉原千畝によって率いました。「命のビザ」を発行しました。ビザはユダヤ人の数千助けました。日本は1991年9月に再びリトアニアの独立を認めました。1991年10月10日、リトアニアと日本の外交関係は再開されました。



post.ltの記事から翻訳

2016年3月10日

「日リトアニア外交関係開設25周年」のロゴマークの最優秀作品が決定しました

今回ご応募を頂いた作品はいずれも素晴らしいものばかりで、選定はとても難しいものとなりました。そのなかでも、リトアニアの国旗色の羽を持つ鳥が日本の国旗を連想させる太陽に向かって力強く羽ばたいている様は今後の両国間の友好関係強化を象徴するロゴとして最適だと判断しました。

バルダス・アストラウスカスさん作
作品の説明:
このロゴの主要な要素は、飛翔する鶴/コウノトリと昇る太陽です。これら要素はリトアニアと日本の国旗の色と国のシンボルを表しています(※コウノトリはリトアニアのシンボルの鳥)。鶴は春、長寿、平和、誠実、愛の象徴です。太陽は活力、暖かさ、命、そして世界的調和の象徴です。グラフィック要素は「漢字」の様式化された表現技術(※書道)によって表現されています。この飛行する鳥は親交とコミュニケーションを象徴し、太陽に向かっての飛翔は気高さとより高いゴールへの切望を表現しています。





2016年2月16日

リトアニアの回復の日

リトアニアは自由な国になりました。それは重要な祝日です。リトアニアは1795年から1918年までロシア帝国に占領されました。

リトアニアのシンボル- ゲディミナス城



2016年2月9日

リトアニア新生児お子様の最も人気のある名前「2015年の結果」

男の子

Lukas『ルカス』(2014年 2位)
Matas『マタス』(2014年 1位)
Nojus『ノユス』(2014年 同じ)
Dominykas『ドミニーカス』(2014年 同じ)
Jokūbas『ヨクーバス』(2014年 6位)
Emilis『エミリス』(2014年 5位)
Jonas『ヨナス』(2014年 8位)
Kajus『カユス』(2014年 7位)
Gabrielius『ガブリエリュス』(2014年 18位)
Dovydas『ドヴィーダス』(2014年 9位)


女の子

Emilija『エミリヤ』(2014年 同じ)
Austėja『アウステーや』(2014年 同じ)
Viltė『ヴィルテー』(2014年 同じ)
Gabija『ガビヤ』(2014年 同じ)
Liepa『りエパ』(2014年 同じ)
Kamilė『カミレー』(2014年 同じ)
Lėja『レーヤ』(2014年 8位)
Ugnė『ウグネー』(2014年 9位)
Ema『エマ』(2014年 10位)
Urtė『ウルテー』(2014年 13位)

tevu-darzelis.ltさんから

水澤心吾一人芝居「決断命のビザ~SEMPO杉原千畝物語~」

2月10日、水澤心吾一人芝居「決断 命のビザ ~ SEMPO杉原千畝物語~」が上演されます!
2007年にスタートして200回突破のロングラン公演、リトアニアでの初演となります。

日本大使はカウナスの市長が会いました

2月4日、マティヨシャイティス・カウナス市長を訪問した重枝大使は、日本とリトアニアの外交関係25周年となる本年における、「杉原リスト」のUNESCO世界記憶遺産登録に向けた協力や日本とカウナス市との文化・スポーツ交流の促進について話し合いました。



マティヨシャイティス・カウナス市長(右)、カイリース副市長(中央)、

シャカリエネ外交関係課主任(左から2人目)、バシリャウスカス市議会議員(左)と

カウナス・マラソンTシャツを披露する
マティヨシャイティス・カウナス市長と



2016年1月13日

リトアニア自由の擁護25周年の一環として第25回トリビュートラン「生と死の道」



1月9日ビリニュスにて、リトアニア自由の擁護25周年の一環として第25回トリビュートラン「生と死の道」が行われ、アンタカルニス墓地からテレビ塔までの9キロを氷点下で雪の降る中、4500名ほどが走りきりました。当館も、いわゆる血の日曜日事件で犠牲になった方々並びに独立運動に参加され独立に貢献した方々に敬意を表し、同イベントに参加しました。
(血の日曜日事件とは1991年1月13日に旧ソ連の支配下にあったリトアニアにおいてソ連軍からの攻撃により、独立運動を行っていた民間人14名が死亡し、140名以上が負傷した事件をいいます。)


在リトアニア日本国大使館さんのFacebookページから

1月13日の25周年

「私たちは自由を持っている理由を覚えています」
1991年1月の初めに、ソ連軍は武装クーデターを起こしてみました。 落下傘部隊はビリニュステレビ塔、ラジオ・テレビ委員会の建物を引き継ぎました。また、最高評議会 - 再構成セイマスを攻撃する計画つもりでした。最高評議会 - 再構成セイマスは平和的な何千人もの人々によって保護されていました。タンクは、人々に運転しました、人が撃たれていました。平和的な抵抗では14人が死亡し、数千人がけがをしました。

毎年特別な記念行事が開催されています。人々はワスレナグサ花を使います。リトアニア語で今は「忘れない花」。投影ワスレナグサ花1月12日にビリニュスの大聖堂で使用されていました。また、この日のための特別な切手がリリースされました。




しゃしんはalfa.ltさんそしてmadeinvilnius.comさんからです




2016年1月4日

明けましておめでとうございます!

私は時々ブログに投稿したがサポートに感謝です。今年はもっと頻繁ブログで書くがんばりますのでよろしくおねがいします!

N. Rinkevičienė さんから